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フィンランド外務省

フィンランド大使館・東京: 大使挨拶 : 初代駐日フィンランド公使 G.J.ラムステットの知的外交

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初代駐日フィンランド公使 G.J.ラムステットの知的外交

Ramstedt今から80年前の1920年2月12日、フィンランド初代公使 ラムステット(G.J.Ramstedt 1873-1959)は東京に着任した。フィンランドは1917年12月6日に独立を宣言した。しかし、まだ自国の外交官がいなかったため、外務省以外の人材にも頼らざるをえなかった。初代駐日フィンランド公使の職を依頼された当時、ラムステットはアルタイ語が専門のヘルシンキ大学教授であった。日本は 1919年5月16日、フィンランドを国家として事実上承認し、フィンランドは同23日その旨の通知を受けた。同年5月24日には両国の外交関係が樹立された。日本はフィンランドが常駐使節を送ったアジアで最初の国であった。日本は、日露戦争(1904-1905)でその実力を内外に示したため、日本のフィンランド承認は重要な意味を持つものであった。また、1894年~1896年まで日本に滞在し、日本の政治家の間で良く知られていたコンニ・ジリアクス(Konni Zilliacus)など、フィンランド独立運動活動家に対する日本の支援もフィンランド人の記憶の中にはあった。

マルセーユから伊予丸に乗船、日本へ

アジアの専門家であるラムステットは以前学術探検隊に数回参加し、モンゴル、東トルキスタン、アフガニスタン国境地帯を訪れている。彼はアジアに向かうため、マルセーユで伊予丸に乗船すると、日本人乗客の協力とロンドンで購入したばかりの書籍で早速日本語の勉強を開始した。日本に到着した時には、既に流暢な日本語会話ができるまでになっていた。ラムステットは通訳者の必要がなかったので、新設の公使館では通訳経費が浮くことになった。日本滞在中、彼は外交任務とは別に、朝鮮語を学ぶと同時に、その起源に関しての研究にも力を注いだ。そしてウラル語族とアルタイ語族は関連性を持っているという有名なアルタイ語仮説を立てた。しかしその後の研究では、少なくともフィンランド語と日本語の関係については、この仮説は疑問視されている。

ラムステットは、外交分野では自らを新参者と考えていたが、同時代の人物たちによると、彼はその語学力によって、日本の上流階級との社交を実に見事にやってのけた。その点、この初代フィンランド公使は、英国大使であり且つ東アジアの宗教始めフィンランド語の文法についても著作を残すなど学者でもあったチャールズ・エリオット(Charles Eliot)卿や、ウィルヘルム・ソルフ(Wilhelm Solf)ドイツ大使とも類似している。ラムステットは1929年まで日本に滞在した。学者という経歴から、彼は講義をしたり、学者や学生達と付き合うのが好きだった。彼の日本滞在については、自らが綴った回想記(参考文献参照)が既に出されているが、最近出版されたハリー・ハレン(Harry Halen)が著わしたラムステットの伝記は、この余り知られていない彼の活動の一面に光を当てている。

東京帝国大学で言語学、民俗学を講義

ラムステットは、有名な東アジア研究者でフィン・ウゴル学会の外国人会員でもあった白鳥庫吉東京帝国大学名誉教授の紹介により、同大学でしばしば招待講師として講義を行った。講義内容は、フィン・ウゴル人、アルタイ比較言語学、民俗学、地方語や方言などだった。彼の講義を受けた人物の中には、当時農林省の役人であった柳田国男(1875~1962)がいた。国際連盟がジュネーブで会議を開き、オーランド諸島のフィンランドまたはスウェーデンへの帰属問題を討議した際、柳田は日本代表団の一員であった。ラムステットによれば、国際連盟が1921年に同諸島のフィンランドへの帰属を決定するにあたっては、柳田のフィンランド支持は極めて大きな意味を持つものであった。後に柳田は、日本における文化人類学・民俗学の第一人者として知られるようになり、民族伝承の研究を行うため、数年間欧州にも暮らした。ラムステットに刺激を受けた柳田は、日本の方言に関心を抱くようになり、学生を動員して方言の資料収集のためのフィールド・ワークを行い、それに関して夥しい数の著作を著した。彼はまた、民俗学の専門誌『民俗』の編集に携わったが、これにはラムステットも1926 年に寄稿している。

ラムステットに啓発された学者は他に、アルタイ言語学の新村出(1876~1967)、アイヌ語研究の金田一京介(1882~1971)、朝鮮研究の小倉進平(1882~1944)等がいる。
ラムステットは講義の中で、フィンランド民族叙事詩カレワラにも触れ、未だにその日本語訳がないことを指摘した。その後外交任務を終え、既にフィンランドに帰国していたラムステットは、偶然彼の講義を聞いていた森本覚丹が、カレワラの日本語完訳版と専門家によるその書評を持って公使館を訪れたことを、後任のヴィンケルマン(Winckelman)公使から聞かされる。彼は森本のことを覚えてはいなかったが、1937年に刊行された日本語版へ快く序文を寄せた。

1926 年12月、ラムステットは東京国際クラブで農業についての講演を行った。講演の最後に彼は「農業技術の近代化によって伝統的日本の栽培方法は時代遅れのものとなる」と不用意な発言をしてしまった。これを快く思わなかった聴衆は、講演者に話し掛けることなく会場を去った。唯一人その場に残ったのは、花巻農学校職員の宮沢賢治(1896~1933)であった。彼はこの日本語を話す外国人に興味を持った。宮沢は、自らの文学作品の中で好んで方言を使用したので、2人はすぐに方言という共通の話題を見出した。

柳田國男、宮沢賢治との出会いと交流

フィンランドの代理大使はフィンランド・エスペラント学会会長でもあることが新聞で報道されると、ラムステットの滞在先である築地精養軒に日本エスペラント学会の代表らが訪れた。ラムステットが到着してからわずか2日後のことであった。2月25日には本郷の燕楽軒で歓迎会が催された。ラムステットは熱心に日本エスペラント学会の月例会に出席し、フィンランドの紹介に努めた。日本のエスペランティストとの交流の上でもっとも重要であった人物、何盛三(1884~1948)は日本全国のエスペランティストにラムステットを紹介した。フィンランドを広く報らしむる上でエスペランティスト達は重要なネットワークであった。ラムステットは仙台、横浜、横須賀、名古屋、京都、大阪、神戸、岡山、福岡、長崎等で、エスペラント語で講演した。1922年1月、金沢では4日間にわたってフィンランドについて講演、地元県知事を含む千人あまりの聴衆が参加した。反対に静岡県知事は日本文化への脅威ととらえ、エスペラント語に反対した。また知事は県内でのエスペラント協会の活動を禁止した。こうした事情を知っていたが、ラムステットは静岡県で開かれる講演会への招待を受け入れた。講演会は警察の介入もなく、順調に進んだ。その後、当地のエスペラント協会は活動を再開できるようになった。こうしてフィンランド代理大使は知事の態度を軟化させることに一役買った。

さらにラムステットの影響を受けた柳田国男はエスペラント語に関心を持つようになった。また宮沢賢治は自作の詩をエスペラント語にするため、エスペラント語を学習しようと考えた。ラムステットのエスペラント語の講演会で今一人影響を受けた人物、川崎直一は後に言語学教授になった。

ともかくラムステットはモンゴル語、ツングース語、朝鮮語の辞書や語彙集の編纂など、これまでの学問的研究を更に深めようとしていた。そうした彼の行動に反感を示す声も一部にはあった。ラムステットは、日本と同時にシャムおよび中国の公使としても派遣されていたため、少なくとも一度、公然と批判されたことがある。駐上海フィンランド名誉領事の補佐官はフィンランドのヘルシンギン・サノマット(Helsingin Sanomat)紙へ投書を寄せ、ラムステットのアジアでの主な関心は台湾島の古代日本語調査であるため、中国をないがしろにしている、と非難した。これはまったく根拠のない話ではなかったものの、ラムステットの外交官としての魅力は彼の学問によるところが大きかったこともまた事実である。ラムステットの日本における学問的また知的交流については、今後更に知る必要があろう。

SUOMI 2000年第2,3号掲載)
著者:カウコ・ライティネン(Kauko Laitinen)
ヘルシンキ大学レンヴァル研究所(1996-2000フィンランド大使館報道参事官)
参考文献

HALEN, Harry, Biliktu Baksi. The Knowledgeable Teacher. G.J.Ramstedt's Career as a Scholar. Memories de la Societe de la Finno-Ougrienne, vol.229, Vammala: Finno- Ugrian Society 1998. 391p

グスタフ・ラムステット著、『七回の東方旅行』(Seitseman retkea itaan)、荒牧和子訳。 中央公論社1998年。258頁

グスタフ・ラムステット著、『フィンランド初代公使滞日見聞録』(Lahettilaana Nipponissa)、坂井玲子訳。日本フィンランド協会1987年。246頁

ハリー・ハレーン(Harry Halen)著「初代駐日フィンランド公使 G.J.ラムステット」 フィンランド・テーブル p. 301~328, 日本フィンランド協会 2000年。
· 市河かよ子著「ラムステッド博士のこと」フィンランド・テーブル p.329~352, 日本フィンランド協会 2000年。

ペンッティ・アールト(Pentti AALTO)著「グスタフ・ヨン・ラムステット」 日本・フィンランド修交75周年にあたって p. 5~7、駐日フィンランド大使館 1994年。

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更新 2017/01/23


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